前回の記事『送検‐検事調べ(前編)【体験談5】』を読む方はこちら
地方検察庁の地下、異様な雰囲気の中に容疑者たちが何十人、いや百人単位かもしれないぐらい集められている。
ここでは、毎日このような光景が繰り広げられているのか。こんなにも逮捕されている人が居るのかと思った。本当に凄いの一言。
留置場にも色々な人が居るけど、検察庁に来るともっともっと色々な人が居た。見るからにその筋の人、周りを威嚇しているような人、大人しそうなおじさん、他色々。もうほんといろいろ。
検察庁の地下には、容疑者が検事の取り調べを受ける時の待合室的な同行室と呼ばれている場所があり、真っ直ぐ60m~70mぐらいの廊下に沿って10室以上の鉄格子金網付きの牢屋みたいな部屋がある。
その部屋は、奥行き3m~4m、間口2m~3mぐらいのサイズの部屋で壁沿い両サイドに硬く冷たい長椅子が設置してある。背もたれは直角。部屋の奥はトイレになっていて腰ぐらいの高さの衝立があるだけ。そこに片側4人ずつ一室8人で座らされ検事の取り調べを受けるまで自分が呼ばれるまでひたすら待つ。留置場とは違い、検察庁ではずっと手錠がはめられている。きつめで。
トイレしかない殺風景な牢屋できつく手錠をはめられ硬い木の椅子でほぼ丸一日待機させられる。
検察庁の同行室では、
「会話禁止」
「アイコンタクトなど合図禁止」
「手錠をカチャカチャ鳴らすな」
等の規則が厳格に運用されている為、少しでも話し声が聞こえたりすると一発で大声で怒鳴られる感じだった。留置場での雰囲気とはまるで別物だった。
時計も何もなく、いつ自分が呼ばれるかもわからない中、この部屋でずっと待っているのは本当に地獄のような時間だった。本当に本当に長く感じた。尻と腰が痛い。
自分が呼ばれないままどのくらいの時間がたったか全く感じられないまま入れ代わり立ち代わりどんどん人が呼ばれまた戻ってくる。
そのうち昼食の時間となり昼食の時間だけは、両手にはめられている手錠を利き手と逆の手の片手手錠にしてもらい会話など禁止だからみんな一心不乱に食パン4枚を貪る。
周りを威嚇しているような人が食パンにすごい丁寧に丁寧にジャムを塗って大事そうに少しずつ食パンを食べている姿を見ていたらなんか笑えた。心の中で。
食事の時間がすぐ終わり手錠が両手にはめられた。また同じ姿勢で硬い椅子でいつ自分の番が来るかわからないまま待ち続けなければならない。
心を無にして待っていると自分の番号を警察官が呼んだ。牢屋のドアに近づくと弁護士の接見。と言われた。
おお、選任している弁護士が接見に来てくれた。逮捕されてから48時間以内は、弁護士以外接見(面会)は接見できない。弁護士は、いつでも、どこでも、接見できる決まりになっているのだ。
同行室のさらに奥にあるドアの向こうの接見室へ連れていかれ中へ入るとそこには弁護士先生が!弁護士曰く、特に伝える事もないけど会いに来ましたの事だった。接見室はパイプ椅子だったけど同行室の硬い木の椅子よりは、百万倍マシだった。
そこでこれから来るであろう検事調べ(新件調べ)の受け答えについて簡単にレクチャーされ、弁護士は飄々と帰っていった。正直弁護士が神様に見えた。
自分も同行室に戻されまた待機。
やっと自分が呼ばれ、檻の外に出された。外に出されると腰縄を厳重にされ犬の散歩みたいにエレベーターに乗せられ検事の元に連れていかれた。
検事の部屋は、すごく広く、明るく、書記官まで付いていた。自分を担当した検事は、自分の検事へのイメージとはまったく違った。しかも女性だった。それでもすごく知的で話も分かりやすくこちらの話しもきちんと聞き入れてくれて調書をまとめていく。頭が良いから話が早かった。
検事調べ(新件調べ)も1時間かそこらで終わり、また同行室に戻らされまた待ちぼうけ。変な話だが留置場に早く帰りたくなった。
この日は、検事調べの人数が多かったらしく留置場へ帰る時間もやや遅くなったみたいだった。帰りの護送車に乗る頃には、精根尽き果てていた。本当に地獄の様な一日だった。同居人の6番が教えてくれた通りだった。
留置場に戻ると夕食の時間は終わっていたから自分は別室で夕食を食べるよう言われ食べ終わって部屋に戻ると6番が労いの言葉をかけてくれた。
その時、留置場担当警察官から検察から勾留請求された旨を伝えられた。
明日は勾留質問なるもので地獄が続くことを6番が笑顔で教えてくれた。
は~・・・本当に長く感じた一日だった。
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