前回の記事『留置場最後の週末【体験談39】』を読む方はこちら
留置場で過ごす最後の土日も終わり、保釈される予定になっている月曜日になった。
保釈されるのは大変ありがたい事だがちょうどタイミング悪く入浴日は明日。ってことで数日入浴していない状態で外に出なければならない。まあ、そんな細かい事はこの際良しとしよう。
今日本当に保釈されるのかどうなのか、保釈されるとしたら何時ごろなのか、朝からソワソワしながら最後になるであろう留置場のルーティーンをこなしていく。手慣れたものだ。
起床から布団の片づけ、洗面、居室・トイレの掃除、朝食と完全に留置場生活に慣れてしまっている。
もう1ヶ月以上この留置場でお世話になっている私は、いつの間にか一番に近い古株になっていた。それも今日でお終いかと。滅茶苦茶長い1ヶ月と数日、思い返せば何をしていたんだろう?どんな事を考えていたのだろう?この日記が無ければ記憶もかなり曖昧だ。きっと、少し精神的にやられていたんだと思う。
この安いプラスティックの食器で味噌汁と木の棒みたいな箸を使って食べる朝食も今日で最後だろう。もう二度と経験したくない。やたらと不味いし。(税金で食べさせてもらっているのにごめんなさい。)
朝食が終わり運動の時間、今まで留置されていて一度も髭剃りをしていなかったから担当さんにバリカンを貸してもらうように申し出て一度バリカンで髭を短く刈り、その後髭を剃り、爪を切った。外に出る準備だ。
運動の時間も終わり、居室に戻り今か今かと保釈されるその時を待ちながら読書をして心を落ち着けていた。
読書をしていたら、居室を照らしている蛍光灯の一部がチカチカと点滅し始めた。蛍光灯が切れてしまったのだろう。
担当さんを呼び蛍光灯を指差し切れている事を伝えた。担当さんは、ちょっと待っててと引き返して行った。
蛍光灯が不規則に点滅しているので読書しづらく同居人と会話を始めた。同居人は、「今日保釈されるかもしれないんでしょ?良かったね。俺はちょっと寂しくなるけどね」と言ってきて私は「そうなんですよ。予定通りに行けば良いんですけど。」と返した。
そうこうしてるうちに担当さんが業者の人を連れて脚立と蛍光灯を持ちながら戻って来た。業者さんは女性(若くはない)だった。業者の女性は、見慣れたユニフォームを着ていた。
見慣れたユニフォームを着ていたのは、いつも食事を運んできてくれる業者の人だったからだ。留置場内に入ってくる人は相当限られている。刑事だって入ってこない場所なのだ。
留置場の担当警察官か私達の様な被留置者か食事を運んできてくれる業者の人、警察署長は一日一回必ず巡視しに来る、一ヶ月に1~2回ほどある定期健診の医者か極稀に留置管理委員の検査が入るのでその人達。その位である。
いつも食事を運んでくれているあの人が蛍光灯まで取り換えに来るのかと感心した。
私と同居人は、隣の居室に入るよう担当さんに指示された。
隣の居室には、痴漢の容疑で出戻りの元同居人が居たけどもうあんまり関わりたくないなと思ってた事もあり、一言二言のあっさりとした会話で済ませておいた。
蛍光灯の交換もすぐに終わり、元に戻るよう担当さんに指示されたので元の居室に戻った。
もうすぐお昼になってしまう。本当に今日保釈されるのか?と疑心暗鬼になってくる。いつもと何も変わらない留置場の雰囲気だ。
そこにここの留置場担当警察官の中で一番偉い人が私達の居室の前を歩いていたので呼び止めて保釈について聞いてみた。一番偉い人は、「知らないよ。何にも聞いてない。保釈許可されなかったんじゃない?」みたいな事を涼しい顔で言ってきた。
「まじかよ。」心の中で叫んだ。
昼食の時間になり食パンと2~3袋のジャムを前に並べたけど保釈の事が気になって食べる気にもならない。私の計画では、お昼前に保釈され昼食は外で何食べようかな?ラーメンかな?蕎麦かな?それとも思い切って肉かな?とか考えていたのに私の目の前には食パンが置いてある。しかも、保釈許可されなかったんじゃない?と来たもんだ。心底落ち込んだ。
もう精神が持たない。昼食もほとんど残した。
あーまじで今日保釈されないんだな、今日どころか保釈は許されないんじゃないか?とか考えていた時、担当さんが居室の前で立ち止まり、「15番こっち来て、外に出て」と言った。私は「えっ?もしかして保釈許可出たんですか?」と聞いたら担当さんが笑顔で「そうだよ。」と。
私はもう諦めいじけていたからそこで呆然と立ち尽くしていた。後ろからは、同居人のバカでかい拍手の音が鳴り響いていた。後ろを振り向くと滅茶苦茶笑顔ですごい拍手を私の為に送っていてくれた。私は同居人に「ありがとうございます。長い間お世話になりました。俺は先に出ちゃうけどお互いこれから頑張りましょう。」と深々と頭を下げ、固い握手を交わし居室を後にした。
居室から出て留置場自体の出入り口に向かって歩き途中にある他の居室で仲良くしてくれてた人達に一言二言挨拶を交わし、出入り口へ。
そこで担当さんが「一応ね。決まりだから」と書類を出してきてそこには釈放なんたらとか書かれており保釈許可決定の通知ではなかった。
担当さん「名前と生年月日を言って下さい。」
私「○○○○、○○年○○月○○日生まれです。」
担当さん「それでは○○君、釈放します。」(笑顔)
担当さんが留置場の出入り口の硬くて重そうな鉄の扉を開き、私は久しぶりに手錠・腰縄なしで留置場の外に出た。
そこには、さっき会話した一番偉い留置場担当警察官と弁護士、それといつか私にありがたい言葉をかけてくれた警察官がいた。
ありがたい言葉をかけてくれた警察官が私に「今日保釈って聞いたから、忙しかったけど顔見に来たよ。」と何故かドヤ顔。
一番偉い留置場担当警察官はニヤニヤしながら「良かったじゃねえか、○○君」私は「知ってたんすか?人が悪いな」と言った。
留置管理課の事務所横の個室へ入るとそこには留置場に入れられた時に着ていた私服がテーブルの上に畳んで置かれていた。おー、懐かしい。
留置場に入っている時は、チャックやボタンが付いていないスウェット上下やジャージ上下、Tシャツ位しか着ていなかったから久しぶりにボタン付きのシャツやジャケットを身に着けられることが妙に感じた。
留置場では、貸与されている便所サンダルしか着用が許されていなかったから靴も履き替える。しかし、紐付きの革靴の紐が抜かれていた。何故?担当さんに聞いてみるとそれが規則らしい。相変わらず訳が分からない規則だな、理由はなんだろう?と疑問に感じたがとにかく〔クソ〕規則らしい。
靴に靴ひもを自分で通し、靴を履き替えたら私物の領置品・領置金の確認を担当さんと行なっていく。領置品・領置金は、書類にリストになっているので一個一個リスト通りに確認。かなりの大荷物になった。
領置品・領置金の確認も済ませ、担当さんと少しの会話を交わした。
個室を出て、弁護士と共に生活安全課のフロアへ向かった。何故かというと証拠品として押収されている一部の物品を返還してくれるらしい。例えば事件に関係が無かったスマホやパソコン、タブレットや洋服など。ほんの一部しか返ってこないがスマホやパソコンが少しでも返ってくるのはうれしかった。返ってこなかったパソコンやモニターなどには今でも未練が残っている。
証拠品も一覧表が纏まっており刑事と確認しながら返還された。
刑事に笑顔で「会えなくなるのは寂しいですね」と嫌味で言ったんだけど刑事は「お前終わってんな。刑事と会えなくなるのが寂しいなんて」と。心の中で「は?本心だと思った?」と思ったけど、とびきりの笑顔でやり過ごした。
生活安全課の事務所を後にして再び留置管理課へ向かう。その途中、弁護士と話したんだけど弁護士は「実は、もう一件追起訴があるかもしれません。警視庁組織犯罪対策部から保釈中に任意の取調べが入りますが必ず出頭して下さい。後、後で保釈許可決定の通知が郵送されてくると思いますが保釈条件を守って下さい。条件は、制限住居で暮らす事・共犯関係者と直接会ったり、直接連絡を取り合わないで下さい。もし連絡を取る場合、私か相手の弁護士を必ず通して下さい。・海外又は国内旅行などする際は裁判所に報告し許可をもらわなければ出来ないので私に言って下さい。」 との事だった。
留置管理課へ戻り全ての荷物を纏め、いよいよ外へ出る。その前にトイレに行っとこう。「トイレどこですか?」と担当さんに聞くと「あっち」と指をさした。本当に久しぶりに普通のトイレに入った。ただの警察署内にある普通のトイレだったけど幸せを感じた。「俺終わってんな。本当に」と心の中で思った。鏡を見ながら髪を整え準備完了。
担当さんに「出口はどこですか?」と尋ねると「あっちだよ」と笑顔。私は「え?正面から出て良いんですか?」とふざけた。逮捕されて留置場に入れられると警察署の正面にある通常の出入り口は使えない。被留置者専用の裏の出入り口(外から留置場直通)があるからだ。
正面から警察署を出た。何とも天気が良い日だった。それにしてもかなりの大荷物だったのでそのままタクシーに乗ってしまおうかと思ったのだけど近くのコンビニに行きたいと思っていたので荷物を持ち最寄りのコンビニへ。
コンビニでコーラとたばことライターを購入し、外に出てまずコーラの500mlを一気に飲み干した。美味しすぎた、旨すぎる。外での普通の生活がこんなにも幸せな事だなんて。とか思いながらコンビニに再び入り次はコーヒを購入。コーヒーを飲みながらたばこに火をつける。実は、たばこはしばらく止めていたんだけどストレスからかたばこが吸いたくて吸いたくて吸ってしまった。本当に久しぶりのたばこだったからなのか少しくらくらした。
留置場仲間に留置場の中で聞いた話なんだけど「シャバ酔いに気を付けて下さい。」と言っていた。逮捕されて留置場や拘置所・刑務所で生活していると決まった一定の臭いしか感じないのである。それが外に出て一気に色々な匂いを感じると気持ち悪くなったりするというのがシャバ酔いという現象らしい。
たばこのヤニクラと相まって少しだけ気持ち悪くなった。もうたばこは止めよう。と思い残りのたばことライターはコンビニのゴミ箱へ。
タクシーに乗る前に彼女と両親に連絡を入れた。両親と彼女は私の保釈を知っていた。弁護士が伝えていたからだった。私を責める事もなく快く受け入れてくれた。実家には後日顔を出すという事を両親に伝えた。
まずは自宅へ帰るべくタクシーに乗り込み、行き先を運転手に告げ、景色を眺めながら考え事をした。外に出れば出たで問題が山積みだし、やらなければならない事も沢山あるからだ。
自宅へ到着。本当に久しぶり。彼女が出迎えてくれた。私は彼女に「本当に心配とか迷惑とか俺がやらなければならない事を代わりに色々やってもらってごめん。ありがとうおかげで助かりました。」と言った。彼女は「本当だよ。どんだけ心配したか」と。
とりあえず、何日か風呂に入っていなかった事と留置場の垢を落としたかったので風呂に入った。久々に自宅での入浴は、誰から見張られる事もなくゆっくりゆっくりと1ヶ月以上の垢を落とした。それはもう「最高」以外の何物でもなかった。風呂って正直めんどくさいとかそんな理由でそこまで好きではなかったけど留置場から帰ってきて以来、お風呂好きになってしまった。
風呂から上がり、彼女が夕食の用意をしてくれていた。留置場を出た時、彼女との電話で呑気な話だが今日夜ご飯どうする?外食にする?とか話してたら彼女が今日は家で私が作ります。と言っていた。物凄くありがたかった。
自分の茶碗でごはん、味噌汁、おかず数種類(私の大好物ばかり)サラダ。今まで普通だと思っていた事がこんなにも幸せな事だったのかと、しみじみ思った。内心、泣きそうになった。こんな事にならなければ気付かなかった自分が情けなかった。
それから彼女と留置場であった出来事、留置場に居た人とかこの1ヶ月私に起こったすべての事を話したり、私が毎日つけていた日記を読み返したり、この1ヶ月の彼女に起きた事を聞いたりと団欒を過ごした。もうあんなトコには2度と戻りたくないと本当に本当に思った。
眠る時も久々の自分の部屋のベッドと布団が気持ち良すぎて安心感もありすぐに眠りについた。
留置場から帰ってきて、今まで過ごしてきた普通の生活のひとつひとつが新鮮に感じ普通の生活のありがたみ、幸せを実感した。
留置場で過ごした約1ヶ月、夜は明るいし担当さんの足音はうるさいし他人がいっぱいいるし、不安だし、本当に眠れなくて身も心ももうボロボロだった。
保釈中の生活【体験談41】に続きます。
コメント